2006-09-30

飛行船とMPG

 気になっているKa8Bのレストア作業を見に行く。終日曇りという天気予報は見事に外れて暑い一日になった。
 10時30分過ぎに着いた関宿では、機体は既に鮮やかな紅色に塗り上げられ、ラダーや水平尾翼の仮組みが行われている。全てが組みあがったときの機体バランスを確認するために主翼と水平尾翼も天秤量りで計量された。
 11時過ぎに佐藤さんが「うぉ〜っ。」と声を上げた。振り返ると空を見ている。佐藤さんが指差す春日部方向から関宿滑空場に向かって「グォン・グォン」とプロペラの音を響かせて飛行船がやってくる。NTT DoCoMo FOMAのプロモーションだ。
 昼過ぎのランウエーからは土手を越えてひっきりなしに曳航機のエンジン音が響いてくる。4時頃にはモーターパラグライダー(MPG)も飛んできた。

2006-09-29

目隠し

 久々一日家にいた。大規模修繕工事の足場が建物の周囲に立ちシートで覆われ始めた。ベランダから外を見ても足場と覆いのシートで視界が遮られて目隠しをされているようで鬱陶しい。建物の傷み具合を調べているのか時々「ダ・ダダダー」と言う音が部屋の中にまで入ってくる。
 工事が終わるのは12月初め、二ヶ月余りこの状態が続くとずっと家にいる者にとってはいささかきついモノがある。

2006-09-28

デジカメ新製品

 9月15日にキヤノンがデジタルカメラの新製品を発表していた。カメラ買い換えの時期が近づいてきていると思い5月から機種の検討を始め、新機種発売の裏情報を得て9月まで様子見。8月末に発表されたPowerShot A710 ISを購入しようとしていた矢先の新製品だ。
 今回発表されたPowerShot G7は往年のレンジファインダーカメラに似た外観だ。35mm-210mm相当のズームレンズ、レンズ内IS、視度調節付きファインダー、外部ストロボ用アクセサリーシュ−、ISOダイアルなど広い分野での用途に応えてくれそうだ。難点はバイクツーリングに携帯するにはサイズと重量の点で不向きと思われることか。
 写真はキヤノンのホームページから拝借したPowerShot G7(左)と。PowerShot A710 IS(右)。

2006-09-27

TV番組の取材

 関宿滑空場の五島さんから、日本テレビの「ぶらり途中下車の旅」から取材が入ることになったという知らせを頂いた。
 取材日は10月1日(日)。あいにく当日は予定が入っていて関宿に様子を見に行くことができないが、番組で関宿滑空場がどの程度紹介されるのか放送されるのが楽しみだ。

2006-09-26

Ka8Bのレストア記録

 「Ka8Bのレストア」を公開した。久野さん、関口さん、冨永くんから貴重なご指摘と情報を頂いておきながらバンコク旅行のために公開が遅くなってしまった。  残るは艤装が終わったKa8Bの勇姿と耐空検査、初ソアリングの模様の記録だが上手くできるだろうか。だんだん責任が重くなってくるのを感じる。

2006-09-25

バンコクのクーデター

 クーデターが起きたその時にバンコクにいたと言うことが一番の土産になったようで、出社すると真っ先にどんな様子だったのか聞かれた。ニュースで正確な状況が伝わっているとは思うのだが生の声で語られる方がリアリティーがあるのだろう。こちらはニュースでどのように報道されたのかを知らないのだからおかしな話だ。
 バンコクで起きたクーデターを知ったのは20日のツアーで連れて行かれた貴金属店"GEMS GALLERY"の入り口でだった。ツアーガイド嬢の携帯電話が鳴り、差し出された電話機を受け取ると旅行代理店からだった。「今朝方クーデターが起きたが旅行者への影響はないようなのでツアーは予定通り実施する。家族から安否を問う電話が代理店に入ったのでホテルに戻ったら連絡してあげて欲しい。」という連絡だった。
 クーデターに出会ったといっても実態はこんな状況だったのだ。

2006-09-24

バンコク(6日目)

 空港に向かう旅行代理店差し向けのバスの中でガイド嬢が言うには、街中に駐屯している兵士を撮影しても何の問題もない、国民が今回のクーデターを全面的に支持しているし毎朝僧侶が市内を托鉢して回るのに応えるのと同じ気分で、兵士にも食事の差し入れをしている、反対勢力との交戦もないので兵士も穏やかなのだという。帰るときになって言われてもね。ツアコン嬢はタイ国民は国王に対して強い親愛の情を持っているのだと繰り返し語ってもいた。
 22時30分発の帰国便が30分ほど遅れて出発。成田にはほぼ予定通りに時刻についた。飛行機が着陸体制に入っているというのに真後ろの席の4人連れGALが携帯電話を使っている。搭乗してきた時も遅れてきたにもかかわらず大声ではしゃぐ傍若無人ぶりだった。少し様子を見ていたが機内放送にもかかわらず止めそうもないのでついに小父さんが出動。一回の注意では止めなかったのでもう少しきつめに注意して止めてもらった。
 社会に適応できていないこのような若者を抱える日本の社会が大人になれていない証拠なのだろう。
 9時30分過ぎには帰宅。午後2時過ぎまで寝直した。
 バンコクレポートの詳細は<こちら>。

2006-09-23

バンコク(5日目)

 BTS スクンビット線の終点Mo Chit駅前に広大なマーケットTalat Chatuchakがある。スカイカードに未だ余裕があったのでバンコク最終日だがのぞきに行った。詳細はレポートにゆずるが規模とホコリと蒸し暑さに圧倒された。
 今回宿泊したホテルThe Imperial Queen's Park前の道を右手に5分ほど歩くと21日から利用しているNet Cafeがある。店の名前も定かではないがドアには"eMail Internet Cafe"と大書してある。バンコク最後のメールチェックに行く。うるさいことは一切言わずEathernet cableを渡してくれる。料金は1バーツ/1分、最低利用料金20バーツ(約60円)。接続速度は1,024kBと壁に張ってあった。上の写真は店の入口。下はマネージャー嬢(らしい/左)と店員さんでどちらも大変な恥ずかしがり屋さんだった。
 バンコクレポートの詳細はこちら

2006-09-22

バンコク(4日目)

 今朝は部屋の窓から見える高いビルに上り始めた朝日が強く反射し、明るくなり始めた西の空に虹がかかっている。
 昼近くになってBTSで再度Mah Boonkrong Center (MBK)に向かう。昨日MBKにあるCDショップで購入したPalmyのCDがVCDだったので音楽CDに代えてもらうためだ。簡単ではなかったがレシートがあったので交換に応じてくれた。ただし同じタイトルの音楽CDは売り切れており別の男性アーティストのCDにしてもらった。
 MBK前の大きな交差点脇に装甲車や軍用トラックが数台駐車している。兵士も15、6人ほどが待機している。木の葉の直ぐ下にジープや軍用トラックが見えるだろうか。
 正面から写真を撮るのはためらわれたが全員肩章に黄色いリボンを結んでいる。クーデター後のテレビの解説によれば黄色は国王に対する忠誠を表しているのだそうだ。
 バンコクレポートの詳細は<こちら>。

2006-09-21

バンコク(3日目)

 今日から自由行動。朝から晴れて蒸し暑い。10時過ぎにホテルを出てBTSでバンコクの原宿といわれるSiamに行ってみる。
 写真はソウル、ミョンドン駅前のミリオレの規模を大きくしたようなMah Boonkrong Center (MBK)。60年代のヒッピーを彷彿とさせる白人の姿が目立った。館内は場所によっては警備員が飛んできて"No photo!"と撮影を止められる場所もあった。
 MBCの直ぐ近くにはSiam Squareがあり、こちらもバンコクの原宿のようだ。学校帰りなのか制服姿の女学生5〜6人連れによくであった。
 バンコクレポートの詳細は<こちら>。

2006-09-20

バンコク(2日目)

 一日寺巡りツアーに参加。写真は王宮内。建物は金と原色で彩色されているが下卑た印象になっていないのがすごい。一見の価値あり。
 未明にクーデター発生。TVは繰り返しこのニュースを流していた。政府機関がある一体は閉鎖されているらしい。大通りのあちこちに銃を持った兵士を見たが市内は至って平穏。
 バンコクレポートの詳細は<こちら>。

2006-09-19

バンコク(1日目)

 成田16:55発TG677便でバンコクに向かう。夏休み後半分として三日間の休暇で今日から24日までの予定。
 時季外れだからか時間帯だからか、出国手続きカウンターはガラガラ。バンコクのホテル到着が現地時間で10時30分過ぎ(日本時間0時30分過ぎ)。
 (ホテルのインターネット接続料が高くて不安定なので、ホテル近くのネットカフェで19日から21日の分をまとめてアップする。)
 バンコクレポートの詳細は<こちら>。

2006-09-18

ホテルのInternet

 バンコク行きにパソコンを持ってゆくつもりで宿泊するホテルのネットワーク状況を調べてみた。旅行代理店からの資料には『インターネット:△』となっている。MODEMなのか有料なのかはっきりしない。代理店に電話で確認してみると部屋によってネットワークへの対応が異なるのだという返事。チェックイン時に何とかなるのだろうか?
 ホテルのホームページを見つけてFacilitiesを見ると無線LANのホットスポットも館内に設置されているようだ。
 どちらにしてもInternetにつながりそうだが、今更MODEMの設定はしたくないな〜。

2006-09-17

父の法事

 越谷で父の三回忌、今回は兄弟とその家族だけで行う。父が後8日ほどで満92歳になるというところで亡くなったことを思うと同じ年齢に達するまで自分にも後28年あることになる。永いようなそうでもないような…。
 生後6ヶ月の姪の長男も5歳になる長女も法要のお経をおとなしく聞いていた。
 兄弟とその家族が一堂に会するという機会はが多くないが、肉親の不思議で離れて暮らす小さな子供達も一緒に暮らしているかのように親しんでくる。

2006-09-16

Ka8Bのレストア (3)

 台風13号の影響で不安定な天気になるという予報だったが起きたら青空だ。関宿滑空場の関口さんの情報ではKa8Bのレストア作業は少し遅れ気味ということだったが気になるので10時頃家を出て滑空場に向かう。
 機体の羽布張りは先週終わっていたので塗装も終わっているかと思っていたがコックピットがマスキングされているだけで垂直尾翼の研磨が行われていた。
 三人の学生が格納庫の前の地べたに座り込んで主翼に取り付けるブレーキ板(?)に市松模様をつける細かな作業をしている。一人は関宿滑空場に来てはじめての女子学生だ。
 作業が一段落したところでクラブ事務所で昼食。会長の五島さんがご自宅近くで調達したという差し入れの赤飯をいただいた。3食分はある量がプラスチックパックにギュッと詰められた久しぶりの赤飯は美味しかった。おかずなしで完食。
 昼食後は土手下に降りて五島さん、関口婦人、Dimonaで大利根滑空場まで往復してきた関口さんと一緒にお茶で一休み。その後、五島さんの配慮でDimonaで20分余り関宿上空を散歩させていただいた。操縦は元ジャンボジェット機767の機長森さん。ジャンボの機長に乗客一人は恐ろしく贅沢な空の旅だ。
 クラブ事務所で18歳から7?歳までが和気あいあいと昼食をパクつくグライダー狂いの面々。

2006-09-15

通夜

 三澤さんと午後5時30分に池袋駅西口で待ち合わせる。今夜の通夜と明日の葬儀の会場となる「祥雲寺」は駅から徒歩でも10分足らずだ。菊田さんの仕事柄、通夜に訪れた人達は殆どがビジネスマン、享年59歳と伺った故人と同じような年代の方々ばかリが目につく。焼香をしている間、祭壇の菊田さんの写真が笑いかけてくるのがきつかった。遺族席の脇に立っておられる奥様に声をおかけしたが、菊田ご夫妻ともども台北でFisherさん、Amyさんと一緒に賑やかに食事をした時のことが眼前にちらついてしまった。
 焼香の後に通された精進落としの部屋は高い格子天井の由緒ありげな広い和室で百三四十席ほど用意されていたろうか。大きな畳廊下と縁側に囲まれた大きな部屋だった。
 帰宅してからWebサイトで調べたら「祥雲寺」には漫画家の石ノ森章太郎の墓もあるようだ。

2006-09-14

訃報

 シナジーインキュベート社の菊田昌弘社長が今日の午後亡くなられた。昨日の朝ご自宅で倒れたと聞いている。隣の席で仕事をしている三澤さんが午後3時頃かかってきた電話に絶句したのがシナジーインキュベート社からの知らせだった。
 いつも精力的で電子文書社会の実現に力を注ぎ近づきつつあるその普及を力強く語っておられた。
 電子文書の普及に欠かせないPKI (Public Key Infrastructure) の普及にも熱心でご自身でも電子公証・認証局を設立されこれからと言う時の突然のそして余りにも早すぎる氏の訃報だった。
 生前頂いたご指導に感謝しつつご冥福をお祈りします。

2006-09-13

腕の痛み(8)

 8月22日以来右肘の痛みについて触れていないが治ったわけではない。電気治療にも週に一度くらいにしか行っていない。それでもずいぶん楽になってきている。腕を捻ると肘から手首にかけて走るズキッという激しい痛みも影を潜めてきた。昨日もGYMでしっかり汗をかいたがこの一月ほど痛みの原因になったと思われるArm Curlは止めている。
 松戸整形外科病院でも赤坂中央クリニックでも、多少痛みがあっても運動は続けるようにと言われていたが、やはり痛むところに負荷を掛けない方がよいようだ。無理をしなければこのまま完治してくれそうな気がする。

2006-09-12

DigiType

 DigiTypeは組込み系ビジネスの波に乗れるか?
 兆しは見えている。日・中・台・韓に対応したバラエティ豊かな手持ち書体が強みになってくれそうだ。アライアンスを組む相手も少しずつ増えている。
 赤坂桃貴楼で開催したプライベートセミナーも来場者と堅実なコミュニケーションがとれている。かつては営業3人+テクニカルサポート1人の体制だったOEMチームも現在は営業6人+テクニカルサポート3人と倍増している。
 後は数字がついてくるだけだ。

2006-09-11

Tさん出社

 怪我をして入院していた管理部のTeresaさんが出社してきた。まだ頭の骨はヒビが入ったままだそうだ。10日ほどの入院で3kgも体重が増えてしまったとご本人。怪我をして入院し、痩せて退院するよりはずっとイイと思う。心配していたよりも顔色もよかった。
 明るい人なので外傷性硬膜下出血なぞという恐ろし気な名前の症状が出たとは思えない笑顔を見せてくれているが、一日も早く完治しますように。

2006-09-10

中野梨園

 バイクにガソリンを入れに出た序でに「梨の中野梨園」に寄ってみた。店先を通して見える梨畑は袋を破った梨の実が枝にびっしり取り付いている。
 梨の種類には筑水、幸水、豊水、南水、かおり、新高、新興などあるがどの梨も最盛期は2週間ほどだそうだ。4種類ほどを栽培しても8週間、約2ヶ月ちょっと集果・出荷の忙しさが続いてしばらくは休み無しだな中野さん。梨は種類によって花も微妙に違っているとも教えてくれた。

 ●中野梨園
 〒273-0121 千葉県鎌ケ谷市初富21-7
 TEL: 047-443-7545
 FAX: 047-443-7598

2006-09-09

Ka8Bのレストア (2)

 先週取材したKa8Bのレストア状況レポートもアップできたので1週間後の様子を見に午後関宿滑空場を訪問した。
 先週はフレームが見えていた機体も羽布が張られ佐藤さんが汗をかきながらドープ塗料を塗っている。その汗を拭きながら「機体を赤く塗るのが楽しみになってきたな」と佐藤さんが森さんに声をかけている。機体後方では松倉さんがサンドペーパーで垂直尾翼の古い塗料を落としている。
 片隅の小さなテーブルに置いてあるラジカセから歌謡曲が流れてくる蒸し暑い格納庫の中で機体に取り付いているのはベテラン達だ。
 その横では塗装も終わり機体の隣に並べられた主翼に冨永くん達がエルロンを取り付けている。
 帰りがけに佐藤さんが一言、「でき上がったらすぐに向こう(学生航空連盟・読売大利根滑空場)に行ってしまうよ。アッという間に嫁にいっちまうんだ。」

2006-09-08

納涼交流会

 芝の東京プリンスホテルGarden Islandを借り切ってアプリックス社が開催した「納涼交流会」は、同社設立20周年記念の祝賀を兼ねた盛大なものだった。
 若い同輩達5人と一緒に参加した交流会は同社研究開発本部のI氏がつききりで世話をしてくださった。
 終始話題が途切れず会場を後にしたのは閉会時間を30分も過ぎた時刻。御成門からタクシーで銀座西五番街「クライスラー」に向かったが金曜日の午後10時、席が空いているはずもなくマスター加賀谷さんのすまなさそうな声を後に、座れそうな店を探して銀座をうろうろ。新規開店したばかりと思われるバー(店名を覚えていない)に落ち着き、気づいたら0時30分過ぎ。
 有楽町マリオン前から深夜バス「ミッドナイトアロー柏」で三郷駅北口まで行き三郷駅からはタクシーで馬橋まで帰り着く。バスが2,250円、タクシーが2,740円。銀座からタクシーで帰る1/3程の料金で帰れる深夜バスはありがたかった。

2006-09-07

赤坂 鮨勘

 台北から出張してきているMichaelが未だ日本で寿司を食べたことがないから昼食は寿司にしたいと言い出した。台湾では握り寿司がブレイク中らしいが日本よりも高価だという。
 一つ木通り入口、工事中の"Akasa Biz Tower"の向いにある鮨勘で赤坂の寿司をつかの間堪能してもらった。
 Michaelのランチにつきあった心優しいJoe林、Alex于、小関、Michael、諏訪部、西田、三澤、都築の各同僚、先輩諸氏。

2006-09-06

Sandoll社

 昨日からソウルのSandoll社とメールで連絡をとっているのだが上手くつながらない。情報を得ようと彼らのホームページを見たが以前とは様子が変わってしまいハングルの読めない身にとってはひどく不親切なサイトになってしまった。電話をしても出てくれた人が韓国語しか話せず、せいぜいこちらがコンタクトしたい人の名前を伝えるので精一杯だった。
 メールの宛先だった営業部長が転職したために誰も返事をくれなかったらしい。今朝になってMISらしき人から電話をもらった時に教えられたメールアドレスに用件を投げたのだが夕方になってMIS(?)からメールを受け取った。なんと未だこちらのメールが届かないのでメール中に書いたアドレス宛にもう一度メールして欲しいという内容だった。
 Yoonさんの後任との引き継ぎがキチンとできていればこんなにドタバタしなくても済んだのに。

2006-09-05

修繕工事始まる

 いよいよ住居の大規模修繕工事が始まった。エントランスやエレベーターも養生され、現場事務所も設置された。昨日から足場の設置工事も始まった。
 2004年の暮れから具体的な計画を立て工事箇所の確認や業者選定方法の策定が続いたが一番大変だったのは住居オーナーに長期修繕積立金の増額をお願いしたときだ。
 11階建て2棟の工事は今年の12月中旬には竣工する予定だ。工事が予定通り進めば化粧直しが済んだ住居で新年を迎えることができる。

2006-09-04

Classic OS用Mac

 取引先の大手SIがPSフォントインストール用にClassic OS (9.xx) 用のMacintoshを必要としていると言う。三澤さんにお供して秋葉原に中古のNotebook Macを探しに行った。Macintoshの現行機種は全てIntel CPUになってしまいDTPと印刷の世界でClassic Macに対する枯渇感が高まっているので品物があるかどうか心配だった。
 Sofmap 2号店は全館Macintosh関連商品、4階のNotebookコーナーには想像以上に在庫が陳列されていた。これならPSフォントインストールのためのハードウエアは確保できる。インストール用のユーティリティソフトは既に確保してある。
 残るはインストール作業に向けてのテストと作業者のスキルアップだがインストールサイトが杭州ではどうなることやら…。気になることではあるがこれ以上はお手伝いのしようがない。
 PSフォントデータのインストールはDTP、印刷業界なら経験者はいるがWindows環境で受託システムの開発をしているSIにも経験者はいるのだろうか?

2006-09-03

マツモトキヨシ

 松戸市が生んだ全国ネットブランドマツモトキヨシの本社は幹線道路から外れた新松戸駅近くの住宅地にある。周囲は集合住宅や戸建て住宅ばかりでコンビニエンスストアもない地味な一郭だ。極たまに建て売り住宅販売の幟が並ぶこともあるこの路だが最近になって小さなラーメン屋が一軒できたくらいだ。
 越谷や関宿に行く時にはいつもここを通るが、建物はTV CMの印象とは程遠くいつもひっそりしており人の出入りを目にしたこともない。
 中央のベージュ色の建物がマツモトキヨシ本社。

2006-09-02

Ka8Bのレストア (1)

 関宿滑空場の格納庫で行われているKa8B JA2233のレストアも大分進んできた。学生航空連盟(SAF)に所属する学生達が夏休みを利用して佐藤さんや森さん達大先輩の指導を受けながら作業を続けている。
 完成すれば実際に空に飛ぶことになる機体を修理・再生するなんて機会は彼らにとってもそうはないだろう。作業をする学生達もそのことはよく分かっているようで地味な仕事を黙々とこなしていた。
 左の赤い機体がレストア中のJA2233。翼は真っ白で先端が機体と同じ赤が塗られている。

2006-09-01

トゥーランドット

 Blossomの岡崎さんと柴崎さんが8月27日に日本バーテンダー協会の主催で開催された「第10回 バー・レディース・カクテル・コンペティション」でグランプリをとった。昨年の野口さんに続く快挙だ。それも一つの店から一度に二人のグランプリはすごい。客のレベルが他店よりも高いからだとお祝の前に冗談が出てしまったが「おめでとうございます」。
さっそく岡崎さんに受賞作「トゥーランドット」を作ってもらった。一口含んで『温泉』という言葉が口から飛び出したが、ラベンダーの香り故なのか、寂しい気分の時によさそうだ。コンペのテーマが『ロハス』だったと聞いてなんとなく納得。
ベースはフランスのウオッカ グレイグース(50ml)にこれもフランスのリキュール ヒプノティック(30ml)、それにピーチジュース(10ml)とラベンダーのハーブティ(1tsp)を加えて完成。
ヒプノティックとはフランス語で「催眠」を意味するそうだが、2001年に発売された涼し気なアクアブルーのリキュールだ。パイン、ブルーベリー、ブドウ、パッションフルーツ、フランス産ウォッカ、コニャックからできているそうだがそのまま含んでも酸味が利いていて口に爽やかだ。
次回は柴崎さんに彼女の受賞作「夕涼」を作ってもらおう。
ヒプノティック(Hpnotiq)とトゥーランドット。写真はどちらもイー・エス・ジャパンのサイトから拝借してレタッチ・合成した。