2025-01-22

台方 麻賀多神社

宗吾旧宅から数分の麻賀多神社へ。
社伝によれば、景行天皇42年(西暦113年)6月晦日、東征中の日本建尊(ヤマトタケル)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け「この鏡をインバノクニタマオキツカガミと崇めて祀れば、五穀豊穣になる」と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。
応神天皇20年、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の八世の子孫である印旛国造・伊都許利命(イツコリノミコト)が現在の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(ワカヒルメノミコト)を祀った。また、伊都許利命は杉の木の下から七つの玉を掘り出し、それを神体として和久産巣日神(ワクムスヒノカミ)を併せ祀った。この二神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。
推古天皇16年(西暦608年)、伊都許利命の八世の子孫の広鋤手黒彦命(ヒロスキテグロノミコト)が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神を遷座し、それまでの社殿を奥宮とした。
延喜式神名帳に記載の際「真賀多真」が三種の神器の一つと同名であるとして、一字取って「真賀多神社」に改称した。後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。

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