宗吾街道のうなぎ屋「い志ばし」の手前の枝道を東に入ると青々とした稲田が広がる。
ゴルフ練習場の先にあるY字路を右に進み、森の中に吸い込まれるように坂道を上る。
坂を登り切ると船形麻賀多神社奥宮の一の鳥居の真ん前に出る。
鳥居をくぐると右手の朱塗りの柵が途切れているところから古墳が見える。
古墳は先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の国造本紀(くにのみやつこほんぎ)にある印波国造伊都許利命(いんばのくにつくりいつこりのみこと)」の墳墓。中央、〆縄の下が玄室跡。
伊都許利命は今から千七百年前、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で、応神天皇の命を受けて印旛國造としてこの地方を平定した。
参道を古墳の先に進むと見えてくる白い石造りの二の鳥居は近年建てられたようで未だ新しい。
社伝によれば、景行天皇42年(113)6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたける)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け『この鏡をいんばのくにたまおきつかがみと崇めて祀れば、五穀豊穣になる』と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。
応神天皇20年、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の八世の子孫である印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が今の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。また、伊都許利命は霊示を受けて杉の木の下から七つの玉を掘り出し、それをご神体として和久産巣日神(わくむすひのかみ)を併せ祀った。この二神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。写真は拝殿。






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