温野菜と肉が旨い京成佐倉駅前の清祥庵、ガラス越しの店内はガランとして何も無い。撤退したようだ。ならばとおかやま食堂に回ったら持ち帰りのみ。
結局、佐倉からの帰路、ふたご亭で野菜補給の野菜炒め定食でランチ。
Ka8B JA2233
学生航空連盟所有(読売大利根滑空場)
製造年:1963(昭和38)年12月17日
製造社:Alexander Schleicher社(ドイツ)
設計者:Rudolf Kaiser
2020-05-29
2020-05-28
メハマン・パーティー
2020-05-27
2020-05-24
補陀洛山那古寺
4月に訪れたときは時間切れで那古山に登れなかったので館山の那古寺へ(下の写真は仁王門)。
多宝塔横の急な石段から先は今日が初。
石段が途切れると開けた古屋敷と呼ばれるところに出る。元禄16(1703)年の元禄大地震まで那古寺の本堂があった場所だ。
奥の斜面に落ち葉に埋もれた階段と石塚が見える。
寺が設置した案内板によると紫式部の供養塚とも墓とも言われているそうだ。
更に石段を登ってゆくとT字路に出るので左の石段を登れば潮音台(見晴台)。ここには明治32(1899)年に中世の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基礎を再利用して立てられた和泉式部とその娘小式部内侍の供養塚がある。
こちらが小式部内侍の供養塚。
登ってきた石段を戻る。
踏みつけそうになった石段を横切るヤマカガシ。
潮音台から下りてきた石段を先ほどのT字路で直進。寺の案内板には式部夢参道とある。
昨年9月の台風15号による倒木のためだろう式部夢参道はここまで。無理をせず来た道を戻る。
多宝塔横の急な石段から先は今日が初。
石段が途切れると開けた古屋敷と呼ばれるところに出る。元禄16(1703)年の元禄大地震まで那古寺の本堂があった場所だ。
奥の斜面に落ち葉に埋もれた階段と石塚が見える。
寺が設置した案内板によると紫式部の供養塚とも墓とも言われているそうだ。
更に石段を登ってゆくとT字路に出るので左の石段を登れば潮音台(見晴台)。ここには明治32(1899)年に中世の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の基礎を再利用して立てられた和泉式部とその娘小式部内侍の供養塚がある。
こちらが小式部内侍の供養塚。
登ってきた石段を戻る。
踏みつけそうになった石段を横切るヤマカガシ。
潮音台から下りてきた石段を先ほどのT字路で直進。寺の案内板には式部夢参道とある。
昨年9月の台風15号による倒木のためだろう式部夢参道はここまで。無理をせず来た道を戻る。
2020-05-17
2020-05-14
𠮷髙界隈
朝からの青い空とヒンヤリした空気に外に出たくなり、在宅勤務中の反則でショートツーリング。
国道464号線の𠮷髙信号を左折、直ぐにY字路が見えてくるので右に入いり、庚申塚が立つ四辻を右折。
板石塔婆堂 手前のT字路を左に入る。
𠮷髙宗像神社の前を下って甚兵衛大橋を渡り宗吾街道(ウナギ街道)へ。
ここでランチをと目指してきた、ゴールデンウイーク明けから営業を再開するといっていたきのこくらぶの入り口には、なんと連れない告知が掛かっていた。
奥からオーナー嬢が出てきたので『腹ぺこなのに〜』と訴えたら、二度も続けて閉店中は申し訳ないとトライアル中の寝かせ玄米ご飯をおにぎりパックにしてアイスコーヒーと一緒に差し入れてくれた。却って恐縮、これは夕食にしよう。前回の訪問時は新型コロナウイルス感染防止対応の臨時休業だった。
結局、ふたご亭まで走って生姜焼き定食でランチ。
国道464号線の𠮷髙信号を左折、直ぐにY字路が見えてくるので右に入いり、庚申塚が立つ四辻を右折。
板石塔婆堂 手前のT字路を左に入る。
𠮷髙宗像神社の前を下って甚兵衛大橋を渡り宗吾街道(ウナギ街道)へ。
ここでランチをと目指してきた、ゴールデンウイーク明けから営業を再開するといっていたきのこくらぶの入り口には、なんと連れない告知が掛かっていた。
奥からオーナー嬢が出てきたので『腹ぺこなのに〜』と訴えたら、二度も続けて閉店中は申し訳ないとトライアル中の寝かせ玄米ご飯をおにぎりパックにしてアイスコーヒーと一緒に差し入れてくれた。却って恐縮、これは夕食にしよう。前回の訪問時は新型コロナウイルス感染防止対応の臨時休業だった。
結局、ふたご亭まで走って生姜焼き定食でランチ。
2020-05-09
Lisa 2 取扱説明書
パソコン周辺のゴタゴタを収めた棚をひっくり返していたらこんなのが出てきた。表紙は日焼けしている。本文のアチラコチラに朱で製版時のエラーが書き込まれている。奥付には1984年の日付がある。
どこにも Apple のロゴが無いがその経緯は思い出せない。これが Apple 製品の初仕事だったと思う。
どこにも Apple のロゴが無いがその経緯は思い出せない。これが Apple 製品の初仕事だったと思う。