これからもオリンピックの切符を目にすることは無いと思い写真を撮らせてもらった。
Ka8B JA2233
学生航空連盟所有(読売大利根滑空場)
製造年:1963(昭和38)年12月17日
製造社:Alexander Schleicher社(ドイツ)
設計者:Rudolf Kaiser
講師の松井進氏の話によれば点字の識字率はわずか全視覚障害者の10%程だという。視覚障害といえば直ぐに点字を連想し殆どの視覚障害者が点字を利用しているのだと思っていたが大きな誤解だった。
直方体のものは両側面にスピーカーが付いているが持ち歩くには旧型の方がよさそうだ。
ディジタル録音図書の国際標準規格のDAISY (Digital Accessible Information System) に対応したプレーヤーも"BF Voice"と"Stream"の2機種が紹介された。
上野公園を精養軒の横から不忍池に下り池之端まで歩いた。背の伸びた蓮でビッシリと埋め尽くされた池は水面が見えない。所々に明早朝には開くのだろうか大きな花の蕾が風に揺れていた。
「ぎゃらりー泉」は開設されたばかりで杵渕さんの作品展が第一会展になる。引き続き全国の染織家の作品展が予定されているらしい。
屋外展示場には天から降ってきた朽ちた鉄塊のような、タイトルもそのままの上薗隼さんの「鉄」が展示されている。
「準備中」の木札が掛かったドアを押し開けて声をかけると奧から『イイデスヨ~』の声。テーブルに着いて店内を見回すが矢張り何処にも「うなぎ」の文字はなかった。
ふたご亭の真ん前は印旛沼の干拓でできた稲田が青々と広がっている。
11時半過ぎに着いた「レストラン水産センター」は店の外でも席が空くのを待っている人がいる。この時間帯で混むことはあってもこんなのは初めてだ。
2006年の夏、関宿滑空場で行われたKa8bのレストアに参加していた「トモチャン」こと宇田川さんが初ソロ飛行に成功したという知らせが入ったので「おめでとう!」を言いたかったのだが滑空場に本人がいなかった。
今日は残念だが「佐原屋」をパスして真向かいの"Bar Jazzy"の階段を下りる。今夜の最初の客になったようで店内のテーブルにもカウンターにも誰も座っていない。
前後して店に入ったベースの栗原さんがチューニングを始めた。ボーカル用のスピーカーの上ではトワイライトレースの真っ最中。"Bar Jazzy"のホームページにもあるようにマスター氏の競馬への投資ぶりが想像できる。
ヴォーカル加藤文代さん、トランペット岡部正二さん、ギター根岸徹さんベース、栗原和夫さんで2ステージ。加藤さんのMCとメンバーの掛け合いも和気あいあいで会場の笑いを誘う。加藤さん曰く『民主的なバンド』なんだそうだ。
嬉しかったのはロックバンドを組んで歌っている翠鸞の浅井さんが聴きに来てくれたこと。今年初めにご自身に辛いことが続いたと聞いていたので気になっていたが元気な姿を見せてくれた。
浅草寺境内には裏口から入る恰好になったが境内の何処にもほおずきを売る屋台が立っていない。仲見世を雷門まで抜けて交番で確認したらほおずき市は昨日で終わったと言うことらしい。そうか今日は7月11日だった。
国際通りを千束一丁目交差点で渡って100m程往くと千束三丁目の信号が見えてくる。緑色縞模様のヒサシが目印になる「三島屋」が探してきた店だ。
店内に入ったときは2歳くらいの男の子を連れたお母さんが焼きそばを食べているだけ。真ん中のテーブルに座って、SAF飛行クラブの関口さんから必ず注文するようにと言われてきた「そばもんじゃ焼き」を注文する。
隣の席でお母さんと焼きそばを食べていた男の子はお腹が一杯になったのか席を立ってきた。お母さんの制止も聞かず『Choo choo...choo choo...』と繰り返しながら差し出して来た本は機関車の絵本だった。