2026-10-11

佐倉ふるさと広場

佐倉ふるさと広場のオランダ風車「リーフデ」と咲き始めたコスモス。

飯野観音(馬頭観音)

飯野麻賀多神社から三百メートル余り西に東徳寺の本堂が隠れるように建っている。参道はひどい荒れようだ。
朽木と銀杏で埋まる参道。
観音堂正面の石段。
東福寺観音堂(馬頭観音)。

飯野麻賀多神社

松虫姫公園から464号線に戻り12号線、65号線を辿って飯野麻賀多神社へ。
大きな木に挟まれたた細い参道。
2019年に葺き替えたばかりの屋根の銅板が盗まれ、2020年暮れに再度葺き直したのに、その銅板も2022年10月に盗まれてしまった。今はカラートタン様の資材で葺き直されている社殿。

松虫寺

摩尼珠山医王院 松虫寺 仁王門前までは北総線・印旛日医大駅前からバイクで五分。
天平17(745)年に行基が開基したと伝わる松虫寺は、752年建立の奈良東大寺(大仏殿)よりも七年古い。ここは1300年ほど前、奈良時代に東大寺を建立した聖武天皇の第三皇女松虫姫(不破内親王)に縁の寺。
仁王門前に立つ古木。
仁王門に安置されている阿形・吽形の力士像。
仁王門の東側には通路を隔てて四脚門が建つ。竹竿が一本、門の通行を塞いでいた。門の奥には松虫姫堂がある。
仁王門の奥に建つのは松虫寺 薬師堂。
薬師堂。ご本尊は三十三年に一度開帳される。直近の開帳は2012年だったので次回は2045年。
濃い苔に覆われた薬師堂前の境内。
仁王門右手奥の鐘楼。
鐘楼の右側にある木の小さな鳥居は六所神社の鳥居。
六所神社本殿。
薬師堂左奥に建つのは松虫姫神社。
薬師堂裏の古い石柵に囲まれた一郭は松虫皇女御廟。
松虫寺境内の右奥に建つ瑠璃光殿は重要文化財・七仏薬師如来像を保管するための建物。
松虫寺北側の細い道の傍、太い木の根元に松虫姫の乳母・杉自の塚が建つ。
松虫寺から464号線を超えて一キロメートルほど南西に走ると松虫姫公園があり、広場には鈴木典生作「印旛の地と松虫姫伝説」(松虫姫と牛の像)が設置されている。
都から松虫姫を乗せてきた牛が年老いて身を投じたという「牛むぐりの池」は雨水調整池になっている。

2026-10-09

小宮山さん

玉川学園前駅で近代活版印刷史を研究している宮坂弥代生さんと待ち合わせて、てるてる園に小宮山博史さんを訪ねる。父君・佐藤敬之輔氏の著書に関する相談があるという佐藤創さんとは、てるてる園で落ち合う。
小宮山さんは横浜総合病院に見舞った時よりも血色が良く、昼食を完食するほど元気だった

2026-10-06

銹釉(さびゆう)

食後のコーヒーは296号線を辿って京成臼井駅の先にある銹釉(さびゆう)へ。この店で今一番売れているというブラジル・セラードの豆にベークドチーズケーキえを付けて。

カフェichie

台方麻賀多神社から成田街道で宗吾霊堂前のカフェichieへ。
ichieの出窓を飾る陶器製のミニチュアハウス。
日替わりランチは〈レンコンとピーマンの豆腐ハンバーグ〉。

台方麻賀多神社

船形麻賀多神社から台方麻賀多神社へ。
台方麻賀多神社二の鳥居。一の鳥居は一キロメートルほど西に下った印旛沼湖の畔にある。
手水舎の奥の道祖神。
拝殿。ご祭神は和久産巣日神(わくむすひのかみ)。
推古天皇16年 (608) 年、伊都許利命(いつこりのみこと)の八世の子孫の広鋤手黒彦命(ひろすきてぐろのみこと)が、神命により現在の成田市台方に和久産巣日神(わくむすひのかみ)を遷座して台方麻賀多神社とし、それまでの社殿を奥宮(船形麻賀多神社)とした。
延喜式神名帳に記載の際「真賀多真」が三種の神器の一つと同名であるとして、一字取って「真賀多神社」に改称した。後に、一帯が麻の産地であることから麻賀多神社に社名を改めた。
境内左奥にある大杉(ご神木)は樹齢千三百有余年、東日本一の大杉と言われており、昭和十年、千葉県の指定記念樹第一号に指定されている。パワースポットとしても人気の場所になっている。

船形麻賀多神社

9月は一ヶ月丸々雨、濡れるのが嫌で出かけなかったので二ヶ月ぶりのお参り。
船形麻賀多神社一の鳥居。
一の鳥居をくぐると右手奥に古墳が見える。
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の国造本紀(くにのみやつこほんぎ)にある印波国造伊都許利命(いんばのくにつくりいつこりのみこと)」の墳墓。
中央、〆縄の下が玄室跡。伊都許利命は今から千七百年前、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で、応神天皇の命を受けて印旛國造としてこの地方を平定したと伝わっている。
参道を古墳の先に進むと二の鳥居の前に出る。二の鳥居は近年建てられたもの。
社伝によれば景行天皇42年(113)6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたける)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け『この鏡をいんばのくにたまおきつかがみと崇めて祀れば、五穀豊穣になる』と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。
拝殿。ご祭神はは稚日霊命(わかひるめのみこと)。
応神天皇20年、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の八世の子孫である印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が今の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。
また、伊都許利命は霊示を受けて杉の木の下から七つの玉を掘り出し、それをご神体として和久産巣日神(わくむすひのかみ)を併せ祀った。この二神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。