2011-06-12

簡体字はこうしてできた

 阿佐ヶ谷南口、JRのガード沿いに一番街を入って行く。第29回の「もじもじカフェ」会場は第一回以来の「バルト」。
 今日のテーマは東京学芸大学教授・松岡榮志さんによる「簡体字はこうしてできた」。
 日頃仕事で関わる中国の漢字だが、簡体字の字体がどのようにして決められたのかまでは知らなかった。これには以下の八つの方針があったという(講演のハンドアウトより)。
 1)もとの字形を省略/ 医(醫) 疟(瘧)
 2)もとの字の輪郭を残す/ 粛(肅) 伞(傘)
 3)もとの字の草書体を採用/ 专(専) 长(長)
 4)もとの字の古代の次兄を採用/ 丰(豐) 从(從)
 5)もとの字の一部に記号を充当する/ 汉(漢) 鸡(鶏)
 6)新たに形声字を作る/ 惊(驚) 护(護)
 7)同音の字と置き換える/ 里(裏) 几(幾)
 8)その他/ 旧(舊) 灵(靈)
 鄧小平の「鄧」の字がどのようにして「邓」という字になったのか、松岡さんから秘話とも言えるその裏話が紹介された。最後は本人の一言で決まったのだという。
 簡体字とは離れるが、「畠」という日本で作られた漢字(国字)が中国文字規格に収録され、「拼音」で"tian"と入力すると候補漢字に「畠」が表示されるのは、毛沢東の演説集にたった一文字、日本軍軍人の名前として「畠」が含まれていたためだと言う、大変に興味深い話も紹介してくださった。

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