2025-09-28

船形麻賀多神社(奥津宮)

景行天皇42 (113) 年6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたける)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け『この鏡を印旛国魂澳津鏡(いんばのくにたまおきつかがみ)と崇めて祀れば、五穀豊穣になる』と言い、伊勢の大神を遥拝したのが船形麻賀多神社の起源であると社伝は伝えている。
応神天皇20 (409?) 年、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の八世の子孫である印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が今の成田市船形に社殿を造営し、その鏡をご神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。
また、伊都許利命は霊示を受けて杉の木の下から七つの玉を掘り出し、それをご神体として和久産巣日神(わくむすひのかみ)を併せ祀った。この二神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。
拝殿の手前右側には印波国造伊都許利命(いんばのくにつくりいつこりのみこと)の墳墓があり玄室跡が見える。

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