

小林一茶は信濃国水内郡柏原(野尻湖の近く)で百姓の子として生まれ、15歳のときに家庭の事情で江戸に奉公に出されることになる。一茶がどこに奉公し、どのようにして俳句とかかわってきたか明確には判っていないようである。資料的に判明するのは一茶が25歳の頃からで、それ以前の10年間は謎とされているようだ。
この謎の10年間、一茶は馬橋に奉公し、馬橋で俳諧を学んだのではないかと推量する説がある。
当時の馬橋村に俳人で油商人の大川平右衛門という者がおり、25歳以降の一茶の資料から彼が父とも慕う間柄であったことが判明している。一茶はこの大川平右衛門の下で働き俳句の薫陶を受け、やがてその才能が多くの仲間に認められることになったのではないか、と考えられている(下総歴史人物伝/中津悠子著)。
本郷を引き払い馬橋に越してきた36年前当時、この信用金庫と隣のスーパーマーケットの辺りは工場跡(星製薬だと聞いた)だったのを覚えている。