2026-10-06

船形麻賀多神社

9月は一ヶ月丸々雨、濡れるのが嫌で出かけなかったので二ヶ月ぶりのお参り。
船形麻賀多神社一の鳥居。
一の鳥居をくぐると右手奥に古墳が見える。
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)の国造本紀(くにのみやつこほんぎ)にある印波国造伊都許利命(いんばのくにつくりいつこりのみこと)」の墳墓。
中央、〆縄の下が玄室跡。伊都許利命は今から千七百年前、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で、応神天皇の命を受けて印旛國造としてこの地方を平定したと伝わっている。
参道を古墳の先に進むと二の鳥居の前に出る。二の鳥居は近年建てられたもの。
社伝によれば景行天皇42年(113)6月晦日、東征中の日本建尊(やまとたける)が当地を訪れ、杉の幹に鏡を懸け『この鏡をいんばのくにたまおきつかがみと崇めて祀れば、五穀豊穣になる』と言い、伊勢の大神を遥拝したのが当社の起源であるという。
拝殿。ご祭神はは稚日霊命(わかひるめのみこと)。
応神天皇20年、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の八世の子孫である印旛国造・伊都許利命(いつこりのみこと)が今の成田市船形に社殿を造営し、その鏡を神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀った。
また、伊都許利命は霊示を受けて杉の木の下から七つの玉を掘り出し、それをご神体として和久産巣日神(わくむすひのかみ)を併せ祀った。この二神は「真賀多真(勾玉)の大神」と呼ばれた。

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