2010-12-11

タイポグラフィの世界(2)

先週の第一回セミナーに次ぐ二回目の「タイポグラフィの世界」のテーマは「(タイプデザイナートーク)書体デザインの現在と未来」。会場は一回目と同じ印刷博物館グーテンベルクルーム。
写真左から裏方に徹した向井 裕一さんと司会の雪朱里さん。以下パネラーの西塚涼子さん、岡澤慶秀さん、片岡朗さん、鈴木功さん。

各スピーカーからかづらぎ(西塚)、ヒラギノUD(岡澤)、丸明(片岡)、金鯱(鈴木)それぞれの開発秘話が明かされ、その背景を垣間見ることができた。
セミナーの後はこれも先週と同じ「鴻運」でパネラーを囲んで懇親会。鴻運を満席にした文字好きの面々、本場四川料理の辛さに顔をしかめたり満足したり。情報交換の貴重な時間にもなっていた。

2010-12-10

松虫寺のページ

 古さと名前に惹かれてこの秋に何度か通った「松虫寺」。撮り溜めた写真とわずかばかりの資料を整理してホームページにアップ。
 745年に建立されたと伝わる松虫寺、752年建立の奈良東大寺(大仏殿)よりも7年古いことになる。
 写真は先月撮影した松虫寺の紅葉。

2010-12-05

Script Pen

 伊東屋中二階の万年筆コーナーにScript Penが並んでいた。ペン先の太さは三種類。太さによってペン軸の色が違う。試し書きしてみたら滑らか、"S"や"O"を一気に書いても引っかからない。
 今年のクリスマスカードは書いてしまったので用はないのだが一本買ってしまった。2,100円(税込)。つけペンだと思ったらインクカートリッジ式の万年筆だった。

2010-12-04

タイポグラフィの世界(1)

ディック・ミネが歌う昭和レトロ歌謡「夜霧のブルース」(作詞・島田磐也、作曲・大久保徳二郎)の一節『夢の四馬路か~、虹口の街か~♪』が場内に流れて、気分は一気に上海租界。
イキな演出で始まったセミナーは小宮山博史さんのシリーズセミナー「タイポグラフィの世界」の第一回「恋の四馬路か、虹口の街か(明朝体活字の開発と東漸)」。会場は印刷博物館のグーテンベルクルーム。

毎日何気なく目にし読んでいる明朝体は何時、誰がデザインして、何処から来たのか。資料をスクリーンに写しながらこの疑問を分かりやすく解き明かしてくれた2時間だった。
キーワードは上海。
すでに刊行されている小宮山さんが書かれた『日本語活字ものがたり ―草創期の人と書体』(誠文堂新光社:2009年刊)にも上海美華書館の所在が書かれているが、その本にも載っていない美華書館最新情報が資料として地図と共に配布された。

セミナーの後は日下さん繋がりで四川料理店「鴻運」(文京区後楽2-16-1/03-3816-0971)へ。講師の小宮山さんはどうしても外せない用事があるとご一緒できなかった。
鴻運の料理だが事前に幹事氏が、日本人向けにアレンジしないようにときつく頼んでおいたという言葉通りの結果だった。胃には心強く財布には心優しい店で、とにかくお勧め。
最後に参会者と共に鴻運の皆さんにも写真に入って頂いた。

2010-12-03

陶芸二人展

 「伊藤みちよ・中盛久美子 二人展」(12月5日まで)の会場は国道296号(佐倉街道)歴史博物館信号際にある小さなギャラリー「創作陶器 釉」。
 一貫してオブジェを作り続ける伊藤さんの作品は軽やかで透明感を感じる。
 写真はひもつくりの技法で作られた「煙突からはじまる空」。軽やかに見えるのは彩色だけではなく、内部が空洞のせいもあるのだろうか。
 中盛さんの作品は食器が多かった。
 帰る時間になっても強風は収まらず464号線では頻繁に横に流されて怖い思いをした。

二つの企画展

 強い風と雷を伴う台風並みの雨も昼前には上がり、バイクを曳き出す昼過ぎには青空に変わった。気温もこの時期には異様な暖かさの25度くらいになったのではないだろか。
 青空にはなったが真っ直ぐ走るのが難しいくらい風が強い。
 メタル・アート・ミュージアム今年最後となる企画展(12月23日まで)は石と鉄心乾漆だった。
 ◆山𣷹 潤 彫刻展 (屋外展)
 メタル・アート・ミュージアムでは珍しい石彫の作品。
 枯れた芝生の中にのっそり佇む、左から「石の躯 I 2009」「石の躯 IV 2010」「石の躯 III 2009-2010」(日影の中)。作品の前に立つとズシリとした重量が迫ってくる。
 ◆小日向 千秋 展 -鉄心乾漆による- (屋内展)
 軽やかにくねる黒いハリガネムシのような作品は、左から「Fu-Ten 3」「Fu-Ten 1」「Fu-Ten 2」。作者は「風・流れ・渦」をイメージしているようだ。

2010-12-02

青い目の雪だるま

 先週末から厳しい寒波がヨーロッパを襲っているそうだ。東樹さんからの写真便りによるとChambéryは40年ぶりの大雪だという。東樹さんからの写真を紹介する。
 靴を履いた青い目の雪だるまはフランス流か、日本と同じ二段重ねでアメリカ流は三段重ねだそうだ。
 Googleで検索したらホントだ、アメリカの雪だるまは三段重ねだった。

2010-11-28

当たるかな

 11月24日から販売が始まった「年末ジャンボ宝くじ」。一等・前後賞あわせて三億円の夢を買う列がクネクネとうねって販売所前の広場を埋めていた。

2010-11-27

馬頭観音(飯野観音)

かつては風致地区に指定されていた飯野も少しずつだが変化してきた(現在も風致地区に指定されているのかどうか調べ切れなかった)。裏山が削り取られ、車が通り抜ける道路ができ周囲を走る車の数が増えている。
松虫寺がらみで続けて出かけた飯野の馬頭観音(飯野観音/東徳寺)、いつ行っても人の姿が無く荒れるに任されているようだ。
畑の中の細い道を辿り奧に東徳寺本堂がある竹藪横に開いた薄暗い口を入る。
 松虫寺の薬師堂はかつて朱色に塗られていたようだが、近寄って見てもそれらしい痕跡が見つからないが、この飯野観音はどうだったんだろう。
 観音堂前の参道はこの石段に繋がっている。
夏の日に蝉時雨の中で遊び疲れた後この石段の一番上に腰を下ろし印旛沼を渡ってくる風に和んだのを思い出す。
百数段だったとおぼろげに記憶している石段、今回はせっかくなので自分の足で二度確認してみた。98段だった。創建当時のままのようで、あちらこちら欠けたりずれたりのままで、上る時はいいが下りるときは高さを感じることもあってかなり怖い。
 観音堂に向かって左側に石段の前に出られる細い坂がある。今は舗装されているが子供の頃は何時も濡れたような泥道だった。
 石段の下にまわると子供の頃に見たと変わらない風景がある。
 石段の下に簡単な説明板が立ててあったので以下に全文を引用しておく。
 馬頭観世音菩薩(東徳寺)
「飯野観音」で知られるこの寺は、飯野山と号し真言宗大聖院の末寺である。
寺の創建等は詳らかではないが、過去帳によれば、元禄十六年(1703年)法印良快をもって中興の祖とし、本堂は文化二年(1805年)法印快盛の代の建立である。
この馬頭観世音菩薩は領内農民の農馬愛護の為、信仰されていた。
さらに常夜灯等から佐倉藩士殊に馬術に関係ある士に信仰され、参詣された霊場であったことが明らかである。
京成臼井駅へ約3.5Km(徒歩約40分)
京成佐倉駅へ約2.5km(徒歩約30分)
昭和五十七年一月
佐倉市