2010-11-05

松虫寺

 今年の7月始めまでは北総線の終点だった印旛日本医大駅から新興住宅街を抜けて1km余り行くと、急に木立が多くなり鬱蒼とした一角になる。
 左手に見えて来た赤い門が訪ねてきた「摩尼珠山医王院 松虫寺」の仁王門だ。
 享保3(1718)年に改築されたという仁王門の左右には阿形・吽形の力士像が立つ。下の写真は左右の像の足もとに空いていた10cmほどの穴から撮影したもの。
 仁王門をくぐるとどことなく飯野の馬頭観音を想わせる薬師堂がある。仁王門と同時期に再建されたという薬師堂に祀られているのは重要文化財に指定されている薬師瑠璃光如来七躯(七仏薬師)。
 七仏薬師は仁王門にあった張り紙によれば三十三年に一度しか開帳されないという秘仏で、次回の開帳は平成24(2012)年だそうだ。
 薬師堂の庇の下には武者凧が奉納されていた。
 松虫寺の建立は745年と伝わっているそうだが752年に建立された奈良の東大寺よりも7年早いことになる。
 松虫寺の名前の由来になっている松虫姫は四十五代聖武天皇の第3皇女で重い病に罹るのだが、この寺の薬師如来像に祈願したことにより平癒したと伝わっている。
 その松虫姫の遺骨の一部が埋葬されているのが薬師堂の右裏手にある松虫皇女之御廟で、石碑の裏側には宝亀二(771)年二月十二日と刻まれているそうだが確認することができなかった。
 松虫皇之女御廟と石碑。
 薬師堂の裏手左側にあるのが松虫姫神社で、松虫姫が亡くなってから建てられたものらしい。
 松虫姫神社の神額に書かれている「松虫姫神社」の「虫」の字が一画多い。
 この一画多い字形を異体字の一つとして収録している漢和辞典があったが、その意味については説明がなかった。
 この神額の字形を勝手に憶測する。虫の正字は「蟲」で「虫」は「まむし」など蛇の意味もある。そこで松虫姫神社の神額に蛇の意味を持つ「虫」を用いるのを嫌って、一画多いこの字形を使ったのではないだろうか。
 う~ん、それなら何故正字の「蟲」を使わなかったんだろう。
 仁王門の東側に建つ四脚門の奧が寛政十一年の建立になる本堂の松蟲姫堂で、阿弥陀如来、不動明王、松虫姫尊像を祀ってあるそうだ。
 仁王門の前に建てられている「松虫寺の概要」碑には聖武天皇の名があり、天平17(745)年の開創とあるから、奈良の東大寺(大仏殿)創建と同時代だ。
 以下に碑文を転載する。
 松虫寺の概要
 松虫寺は奈良時代、聖武天皇の天平十七年(七四五)僧行基の開創と伝えられ、始め三輪宗、のち、天台宗、そして、真言宗に所属し今日に至っている。寺伝によれば、聖武天皇の皇女松虫姫、(不破内親王)が重い病に患られた時、不思議な夢のお告げにより、下総に下向され、萩原郷に祀られていた薬師仏を祈り、重患が平癒したので、天皇は、行基に命じて七仏薬師を刻み一寺を建立し、姫の御名をとって松虫寺と名付けられたという。
 現在の本尊、七仏薬師如来は榧材の一本造りで、平安後期の特色を伝える優作として、昭和三十四年、国の重要文化財に指定された。
 南面する仁王門、薬師堂は江戸時代、享保三年に改築されたもの、山号額は儒者、佐々木文山、薬師堂の扁額は、釈雲照の染筆である。
 西面する本堂は、寛政十一年の建立で、阿弥陀如来、不動明王、松虫姫尊像をまつる。
 薬師堂の裏手の松虫姫御廟は、御遺言により分骨埋葬されたものと伝えている。
 平成八年七月、摩尼珠山、医王院、松虫寺
 (句読点、括弧は原文のまま)

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