2011-03-11

大地震

 地震発生後一時間あまり、新宿中央公園に避難していた人達がそれぞれのオフィスに戻るのだろう、公園前の歩道が一杯になった。
 大きな余震が続く中、急に空を覆った黒い雲は地震とは無関係なのだろうか。
 * 今回の地震は「東北地方太平洋沖地震」、地震による災害は「東日本大震災」と名付けられたようだ。
 地震のエネルギー規模を現すマグニチュドは当初発表された8.8から9.0に修正されている。

唐園

 「20世紀のポスター」を見たあと、庭園美術館近くの「唐園」で昼食。
 日替わりランチ定食(金曜日)は「豚挽肉と春雨の炒め物」880円。

20世紀のポスター

 会場内で出会った懐かしい名前達。エル・リシツキー、A. M. カッサンドル、マックス・エルンスト、ヤン・チヒョルト、ベン・シャーン、マックス・フーバー、マックス・ビル、レイモン・サビニャック…。
 出会ったときは既に巨人だった名前達。山城隆一、亀倉雄策、原弘、田中一光、粟津潔、横尾忠則、杉浦康平、細谷巌、永井一正、木村恒久、福田繁雄…。
 東京都庭園美術館で開催されている「20世紀のポスター[タイポグラフィ]――デザインのちから・文字の地から――」(3月27日まで)は竹尾ポスターコレクションをメインに日本の戦後を代表するポスターから113点が次の四つの時代に分類されて展示されている。
 第1部 1900s-1930s 読む文字から見る文字へ:タイプグラフィの革新
 第2部 1940s/1950s タイポグラフィの国際化:モダンデザインの展開と商業広告の拡大
 第3部 1960s/1970s 躍動する文字と図像:大衆社会とタイポグラフィの連結
 第4部 1980s/1990s 電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命
 溜息と共に会場を出たが、見逃す手はないお勧めの展覧会だ。

2011-03-06

三木 俊博 展 ―首狩―

 全てが異なる形をしたブロンズによる45体の首が並ぶ「三木 俊博 展 ―首狩―」(3月13日まで)。会場はメタル・アート・ミュージアムの屋内展示場。
 『歴史上、架空上の登場人物を首をテーマにして、手のひらサイズの彫刻群で提示。それらは、じっと立ち、相互に呼吸し響き合う(会場パンフレットより)。』
 45体の一つ一つは小さな作品だが、省略やデフォルメの手法が全て違うことに作者のエネルギーを感じる。
 ◆岡倉天心(左)とルイ14世

森岡 慎也 展 ―ア・ラ・カルト―

 メタル・アート・ミュージアムの屋外展示場では「森岡 慎也 展 ―ア・ラ・カルト―」が開催されている(3月13日まで)。
 『2006〜2010年に制作した作品をいくつか展示します。世界中の様々な色、質の石材をどのように扱うか? 色が主体のもの、量感に気をつけたもの、作品によって少し視線を変えています。統一感はないのでひとつ、ひとつ楽しんでいただければと思います(会場パンフレットより)。』
 ◆百人力(石)
 これを石で作るところがスゴイ! その上美味そうだからもっとスゴイ!
 ◆朝焼けに染まる聖獣(石)
 素材の固まりから顔が顔を出している様は、屋内展示場で同時開催されている「首狩」の作品と響き合うものがありそうだ。
 ◆ポーク(石)
 ソテーにした方がいいのか、衣をつけて揚げた方がいいのか大いに迷うところだ。

風車

 メタル・アート・ミュージアムの帰り、印旛沼の畔に風車とチューリップ畑の様子を見に行く。
 掘り起こされて軟らかくなった土に整然と並ぶ木札。木札の横にはチューリップの球根が植えられているはずだ。
 木札に書かれている『元気にそだて』『きれいにさいて』などのメッセージは、球根を植えた近隣の小学生が書いたものだろう。

2011-03-05

女書

 かつてゲストとして招かれたことがある「もじもじカフェ」は11回目だったが、その後も回を重ねて今日は第28回目。テーマは「中国・女文字の世界」。
 会場は飯田橋のモリサワ東京本社9階ホール。
 定員60名の会場は予約受け付け時点で満席になったとのこと、キャンセルを待つ受講希望者も多かったようだ。
 第一部のゲストは日本語研究者の遠藤織枝さん。
 「女書 (Nushu)」とは中国湖南省江永県の一部に住む謡(やお)族の女性だけが読み書きする女文字のこと。
 遠藤さんが1993年に北京で初めて女書に出会ってから今日までの研究成果の一部を紹介してくださった。
 以下、遠藤さんの発表からその一部を紹介させていただく。
 女書が生まれた背景には、この地方特有の風習「結交姉妹(けっこうしまい/血縁のない二人以上の娘達が義理の姉妹となること。実の姉妹以上に強い絆で結ばれるという)」や、嫁ぐことは不幸であるという結婚観、徹底した男女の役割分担・分業、豊かな農作物をもたらす自然環境、漢民族と謡族が混在して暮らす地域であったこと、などなどがあるという。
 スクリーンは遠藤さんが調査に訪れた村の様子。
 女の仕事の典型「女紅(じょこう/織物・縫い物・刺繍・布靴作りなど女性の手仕事の総称)」のうち刺繍や縫い物が会場入り口に展示されていた。
 親が決める結婚は絶対で、生まれ育った村から他の村(そして他姓)に嫁いでゆかねばならず、併せて「結交姉妹」から離れることでもあり、結婚は若い女性にとって幸せなことではなく悲しいことであったという。
 そんな花嫁に結交姉妹や母、おば、実の姉妹などが冊子を手作りし、女書で歌を書き添えて結婚三日目に贈るのが「三朝書(さんちょうしょ)」で、新婦にとっては非常に大切なものなのだという。
 第二部のゲストは現地から来日中の何艶新さん。
 女書の最後の伝承者* と言われる何さんだが、さっそく女書を書いて見せてくれた。
 とても1939年生まれとは思えないお元気な何艶新ん、聴講者達からの質問にも最後まで丁寧に答えてくれた。
 予定外のことだったが何さん直筆の色紙が頒布された。用意された10枚ほどはあっという間に完売してしまった。
 女書は七言絶句や五言絶句のような詩の形式と密接に結びついたもので、日常のメモや書き付けには用いられないという。
上位手巾尺五長
為的四辺大姉妹
大姉有歌応該唱
不要妹娘起歌声
    何艶新書

 中国語ネイティブにこの詩を見せたが、標準中国語とは異なる表記らしく、何を詠んでいるのかよく分からないようだった。詩の大意は推測も交えて、多分こんなものだろう。

『高く掲げたハンカチは五尺の長さ 姉妹達が回りを囲む
姉達は唄を歌うべき 妹の母は歌声を求めず 何艶新 書』

* 何艶新さんは漢字教育を受けた世代だが、子供の頃、結交姉妹達と女書で詩をやりとりをした祖母から女書を教えられたという。伝統的な環境で女書を身につけた人で現在も健在なのは何艶新さんお一人と考えられている。近年になって養成された継承者は5、6 人いるという。

2011-03-04

タマ

 タマに会いに、明日までになってしまった「嵯峨 英二 展」に出かける。会場はギャラリーオカベ。
 タマは10年ほど前までの嵯峨さんの最後の飼い猫で、以来、作品の中で元気に跳ね回っている。
 ◆タマの空遊び(ミクストメディア/F50)
◆タマの休日(ミクスドメディア/S100号)
 『ギャラリー・オカベでタマの個展を始めて、長いようで短い旅の途中ですが、私も15才、そろそろ大人の仲間入りをしたいものと思っております。
 オカベでの初めの5年間は大作中心でアクリル、ガッシュ、パステル、マーカー等を使った元気がとりえのタマでした。その後の5年程はタマに森の子(木彫り)が参加した元気で楽しいそして広がりと奥行きのある発表にしました。以降、今に至るまで、紙に描くタマの作品の中にテンペラ画、油絵が仲間に加わり始めました。
 紙からキャンバス。特にこの10数年間はキャンバスに描くことに試行錯誤し―キャンバスという素材から何回となく振られ続け―ここへきて、僕とタマ。20年。60才でやっと何かが描けるようになってきました。何か光も見えてきたようです。
 今後は大人の仲間入りをするため、じっくり腰をすえ?元気な中にも深みと透明感のある格の高い作品が描けることを目指して行きます…歴史にも残れるかな…。』
―会場の一画に掛けられた『タマのつぶやき?』より―

2011-02-26

池田忠利 展

 Kuwasawa 2011を見た後は「池田忠利展」を見に原宿から人形町に移動。甘酒横丁を浜町公園まで抜けて新大橋通りに出れば会場の「ギャラリーA/N」までは人形町駅から10分ほど。
 会場は文字通りの"SCRAP WONDERLAND"の世界。久々に池田くんの近況を聴くことができた。
 カラフルな作品が多い中でモノトーンの二点に惹かれた。
 ◆人魚伝説
 ◆パールフィッシュ