2007-12-31

里山

 門をくぐり急な坂を上ってゆくと白壁と墨肌の大きな建物の前に出る。玄関脇に「帳場」と書かれた大きな提灯が下がっている。ここでチェックイン。
 ここは2006年、伊豆高原駅の近くにオープンした新しいタイプの温泉旅館「きらの里」だ。
 チェックインを済ませて帳場の右に回ると初めてきた所なのに懐かしい風景が広がる。敷地内は里山が再現されており宿泊施設が点在する。
 今日から新年2日までここでノンビリだ。

2007-12-30

紹興酒

 今年8月、北京にNITSを訪問したときに代紅さんから頂いた紹興酒『塔牌 十年陳特醇紹興酒』。
 癖のないスムーズな味と香りが今まで呑んでいた紹興酒がなんだったのかと思わせる。幸い瓶の中身は500ml、呑み過ぎる前に空になってしまった。

2007-12-29

居酒屋トリオ

 馬橋駅東口周辺にはこれと言った飲食店がない。ここに引っ越してきて以来30数年ずっと変わらずだ。たった一件あった寿司屋も廃業してしまった。赤い「笑笑」があった所が一月程前から黒い「福福屋」と変わった。従業員の顔ぶれが同じなので系列だと思うのだが見たことがない名前だ。マネージャーに聞いたら都内は池袋に一見あるという。
 馬橋駅前には徒歩1分以内に「はなの舞」があり、これも同じように1分以内圏に来春早々に開店する予定で庄屋が準備中だ。
 居酒屋ばかりで面白くないな。

2007-12-28

テロと来日

 朝刊一面トップにパキスタンでテロの記事。成田空港に出迎えに行くことになっている于くんのご両親の飛行機はイスラマバード発北京経由成田着のパキスタン航空PK852便だ。Webで到着予定を確認すると空白のまま。
 午後1時半過ぎに成田空港に着いて于くんと合流。到着便の状況を伝えるボードPK852便の欄は案じたとおりいつまでも変更時刻欄が空白、備考欄は赤い未定の二文字のまま。インフォメーションカウンターに尋ねても情報がないので分からないの一点張りだ。
 午後6時を過ぎる頃再度インフォメーションカウンターを尋ねると19:05に到着すると確認してくれた。到着便案内ボードにも同様の情報が表示された。
 それから待つこと一時間。距離以上の長旅を終えたご両親と四ヶ月ぶりの再開だ。
 于くんのアパートに荷物を下ろして駅前の居酒屋で簡単な歓迎会。初来日のご両親はテーブルに並ぶ皿に興味津々箸をのばしていた。

2007-12-27

合同忘年会

 組み込み系のビジネスで今年大変お世話になったパートナーOSC社のメンバーと合同で忘年会。会場はこのBlogでもときどき顔を出す赤坂の「火鍋屋」。
 同様のメンバーで今年初めにもこの火鍋屋の辛い鍋を囲んでいる。今日も火鍋屋のママの好意で特別メニューの鶏肉唐辛子炒めを出してくれた。

ダイちゃんの退院

 11月12日に大怪我をしたダイちゃんから今日退院したと電話があった。全ての治療が終わり後はリハビリテーションのために毎日松戸整形外科病院に通院することになると言う。
 未だ松葉杖をついての生活なので外出もままならず、家の中でも不自由だが病院と実家では天国と地獄ほどの違いがあるとシミジミもらしていた。
 年が明けたら有志を募ってダイちゃんの退院祝いをやらなくちゃ。

2007-12-26

つんづ君と野菜

 つんづ君が今年一杯で退職する。一年数ヶ月のおつきあいだったが彼は私にとって馴染み深い根津の男とあってずいぶんあちこち一緒に飲み歩いた。世話好きで明るいキャラクターなので何処へ行っても人に好かれるだろう。一日も早く納得できる職場を見つけて欲しい。
 ということで職場のみんなで年の瀬の送別会となった。
 送別会から帰宅すると玄関先に大きめの段ボールが届いていた。貼ってある伝票を見るとさっきさよならしてきたばかりのつんづ君からだった。
 箱の中は深谷ネギ、ほうれん草、みず菜など、生産者から直送されてきた新鮮な野菜がギッシリ。これらの野菜がどうやって作られたのかを手書きした生産者のメッセージも野菜と一緒に出てきた。
 彼らしい嬉しい心遣いだ。

2007-12-25

気の早い初詣

 薄暗くなり始めた時刻、ライトアップされた赤坂日枝神社の鳥居の奥に「初詣」と日の丸が浮き上がっていた。
 新年を迎える準備ができているってところなんだろうが、この初詣の看板、鮮度が落ちやしないかな。どうでもいいことだけど。

2007-12-24

イヴの銀座

 歩行者天国になったばかりの銀座通り。突然インラインスケートで滑り寄ってくるサンタクロース。手に持った小さな袋から取り出したキャンディを女性や子供達に配り始めた。
 一度は婦人警官に咎められた彼らだが、どうやら当局の許可を得ているようで子供達の歓声を受けながら走り抜けていった。
 行列ができているデパートのケーキ売り場ではクリスマス・ショートケーキ"Noel Blanche"が見る間に売れてゆく。

2007-12-23

都庁舎もクリスマス

 バスを待っていて見上げると都庁舎の上階がささやかだがクリスマスカラーの赤と緑でライトアップされている。
 石原都知事はこの企画書の稟議書にもハンコ押したのかな?

メトロ・プロムナード

 いつもなら雑踏で見通すことができない新宿メトロ・プロムナード。三連休の中日で日曜日の今夜は黄色い柱が並ぶ様子が見通せた。

2007-12-22

雪だるま

 手のひらに載せると光る雪だるま。底に付いているセンサーが手の温もりをキャッチして光るようだ。発光してから20秒くらい経つと色が変わり始める。手から下ろしてもしばらくは光っていてくれる。
 残念ながら電池交換はできない。

2007-12-21

失神するほどの痛み

 陸橋が大きくカーブして6号線金町広小路の上にさしかかる辺りを松戸から金町に向かってバイクで走っていた。防音壁が切れたところでビルの切れ目から西日が眼を直撃した。一瞬目がくらみ慌てて顔を伏せたが、直後に時速60~70km位で走行していたバイクが何かにぶつかったように感じた。
 気がつくと体は西日を浴びたところから70m位飛んでいた。ヘルメットは完全に割れている。ジャケットの胸は裂けてボロボロ、血糊がべっとり。肋骨でも折れて胸に刺さったのかも知れない。そっと深呼吸すると胸は痛まない、大丈夫みたいだ。
 ゆっくり立ち上がろうとすると右足が全く動かない。右膝の上で普通なら曲がらない向きにグニャリと捻れ、白い骨が露出し、かろうじて1/3程残して股に繋がっている自分の足を見た。
 救急車で運ばれた病院でねじ切れる寸前の足をとりあえす接合する。この手術、折れた骨や切れた腱をホッチキスのお化けのような器具で行う。痛いところがあったらそこは生きている部分なので、痛みを我慢しないで必ず痛いと言うようにとの医師の指示。麻酔無しで行うので我慢できる痛みではなかった。
 更に手術に入る前に、感染症がにかかっていれば手術が上手くいっても数日後には発症する。そうなったら足を切断することになる、発症の確率は50%だと医者に言われた。
 幸い感染症は発症しなかった。
 今まで通りアマチュアレスリングを続け、そのためのトレーニングも始めたいという強い希望を受け入れてくれた病院が、各病院からそれぞれの専門医を集めた緊急チームを結成し欠損した骨を補修する二度目の手術を行った。成功は50%だと手術前に説明があったが成功すると確信していた。
 幸いこの手術も成功。術後は傷口から感染症に罹るのを防ぐために無菌室で過ごすことになる。

 腱や組織を縫い合わせた体内の糸を抜糸するときもきつい痛みが伴ったが、ようやくリハビリテーションができるところまでこぎつけ、指先も少しずつ動くようになる。
 今のままリハビリを進めても膝は90度くらい曲がるようになる、しかし非常な苦痛が伴うが完全に曲がるようにすることも可能だと、リハビリテーションが次のステップに進む段階で言われた。
 元のように曲がらないとアマチュアレスリングはおろかトレーニングすらできないではないか。痛みは堪えることができると思い躊躇することなく完全に曲がるまでリハビリテーションする途を選らんだ。
 この訓練、ホチキスどころの騒ぎではない痛みが待っていた。最初のこの訓練で失神した。痛みで失神したのは初めてだが、想像を超える痛みに神経も体も保たなかったのだろう。
 二度目の訓練は恐怖だった。そしてやはり痛みで失神した。
 この大怪我、11月12日に西日が原因で起きたバイクの単独事故によるものだ。

 やっと昼食後に携帯電話をかける場所まで出られるようになったと言って、昼休みも終わろうかという頃にGYM仲間のダイちゃんから電話をもらった。
 なんだ、右膝の筋を断裂したどころの話じゃなかったんじゃないか。みんなで心配してたんだぞ。でも、声の調子から精神的なダメージからも回復しているのが伝わってきた。
 強いぞダイちゃん!
 来年1月中旬には退院できそうだって。こんな大怪我をして二ヶ月で退院って言うのはスゴイじゃないか。エッ、今までの記録は四ヶ月だって、医者がそう言ったんだ?
 何でもいいや新記録での退院待ってるよ。

2007-12-20

忘年会

 赤坂「カンティーナ」を借り切って職場の忘年会。この一年、営業の頑張りをたたえて乾杯。台北からもAmyさん、Carolさんが出席、Bingoの賞金で会場を盛り上げてくれた。
 アルコールが入ると眼の上が痛むのでジッと我慢。9時過ぎに何事もなくお開き。自分が素面な分、静かな忘年会だった。

片眼がパンダ

 一昨日、新橋に出た帰りに堅いモノに顔をぶつけて右目頭をパクリと切ってしまった。急いでハンカチで押さえたので出血は直に止まったが、電車に乗ると周囲の人たちが視線を外すのが分かった。多分ひどい顔をしていたんだろうナ。
 昨日はたいしたこと無かったのに今朝鏡を見たら右目の回りが黒ずんできた。打ち身のアザは遅れて出てくるんだよ。写真を撮ってみたがあまりにも気持ち悪いのでここにアップするのは止めることにした。
 鼻を打たないで目頭を当てたってことは、鼻の低さが証明されたってことだ。

2007-12-19

Collins 33

 暗くなるのがめっきりい早くなり、勤務先のオフィスがある赤坂三筋通りのCollins 33ビルのライトも早く点くようだ。
 毎日このビルの前を通っているが中に入ってことは一度もない。
 いや、地下一階にあった"Star Point"で二度ほどお客さんを接待したことがあったっけ。

2007-12-18

炉端焼き

 新橋には未だ炉端焼きがあった。店内は勤め人風のおじさん客で満席。炉端に浴衣姿で正座しているお兄さんの長いしゃもじ捌きが見事だ。
 なんだかひどく懐かしい気分になった。

2007-12-17

e-Taxの利用

 ここ数年はインターネットで確定申告書を作り印刷したものを申告に利用してきた。
今年はインターネット経由で申告できる「e-Tax」の案内が税務署から届いた。カラー印刷された案内書には『簡単ですよ!』と書いてある。
 早速挑戦してみた。以下はその手順。
 1.住民票登録先で住民基本台帳カード(ICカード)を作る。
 2.住民基本台帳カード(ICカード)に基づく電子証明書の発行を受ける。
 3.e-Taxの利用開始を届け出る(インターネット経由あるいは書面)。
 4.利用者識別番号を取得する。
 5.財務省運用支援認証局のルート証明書をダウンロード/インストールする。
 6.公的認証サービスクライアントソフトをインストールする。
 7.e-Taxソフトをインストールする。
 8.ICカードリーダーを購入する。
 9.ICカードリーダーのドライバーをインストールする。
 10.ICカードリーダーを初期設定する。
 11.e-Taxソフトの最新バージョンを確認する。
 ここまでやっても未だ準備段階、何処が簡単なんだヨ!
 確定申告の時にしか使わないであろうICカードリーダーはヨドバシカメラで¥3,070円。

2007-12-16

トイザらス渋滞

 毎年この時期の週末午後から自宅前の国道6号線の下り車線に長い車の列ができる。この車の列の先頭はここから1,200m先にある「トイザらス」。子供のプレゼントを用意する人達の車が駐車場に入るために国道の流れを止めているのだ。
 この地域で車を利用する人達はこの渋滞を『トイザらス渋滞』と呼んでいる。

2007-12-15

ハワイアン・コナ

 昼食後の珈琲を但馬屋珈琲店で。雰囲気がいいのと空いているのとでたまに利用する。ハワイアン・コナがあるので頼んだが1杯980円。その分器もリッチだった。

2007-12-14

達筆

 毎年送られてくる来るビルのお母さんからのクリスマスカード。いつも感心するが達筆だ。ところが息子のビルの手紙は読むのに一苦労するほどの悪筆だ。
 今や手書きで一筆なんてことも無くなってしまった自分のことを思えば人様の悪筆を嗤えないのだが。

携帯電話のカメラ

 無理をお願いして確保してもらった忘年会の席をキャンセルしなければならなくなり、お詫びもかねて久しぶりに大久保「桜華樓」でのランチ。
 携帯電話のカメラを使って撮影したがやはり写っているだけという実力。デザートの杏仁豆腐がついてこれで700円。

2007-12-12

携帯電話

 携帯電話を買い換えて2ヶ月過ぎたのでDoCoMoショップへ行ってオプションサービスの見直しをしてきた。
 買い換えるときに注意を払っていなかったこともあるが自分で知らないサービスが4つあった。これは全部キャンセル。
 ショップの窓口嬢が、携帯電話の使用パターンが今の状況なら料金プランを変更した方が月々の支払も減るから、変更してはどうかと提案してくれた。
 そんないい話は即乗る。三ヶ月に一回くらいはショップに来て料金プランの見直しをした方がいいとも勧められた。

2007-12-11

なかや

 坂東市岩井の「なかや」でうなぎを堪能してからもう一年も経っていたのか。
 CSE社を訪問する前に今回も「なかや」で腹ごしらえと思い念のために三澤さんが店に電話を入れると今日は定休日。ところが折角東京から来るなら準備して待っているというウソみたいな話。
 東京駅前から高速バスで着いた岩井の「なかや」、確かに暖簾は出てない。戸に手をかけると開いていた。
 「営業中」の看板と暖簾が店内にかけてある。
 休日なのにわざわざ用意してくれるのだからと前回よりもワンランク上げて竹(¥1,800円)を注文。サービスでフナの甘露煮を出してくれた。これだけいただくのが勿体ないくらい、白飯があれば申し分ないところだった。
 食後は店主が調理場から出てきてこの界隈の様子を話してくれた。店の前は裏日光街道でこの辺りもかつては宿場町として栄えたのだそうだ。

2007-12-10

東京都松戸市

 東京都松戸市の宛名で中国の知人から封書が届いた。これで2度目だ。郵便番号は書かれていないのでマニュアルで分別/配達してくれたんだろう。

2007-12-09

AV-36

 関宿滑空場の格納庫に珍しい機体が格納されていると聞いて見てきた。機体は前半分、翼は主翼だけ。これで飛ぶのかと思ってしまう。
 フランスのシャルル・ファウベルという人が設計した無尾翼機のAV36-Hの1号機だそうだ(SAF飛行クラブの関口さんの情報による)。
 日本では未登録のため未だ一度も日本の空を飛んだことが無いとも聞いた。この愛嬌のある機体が日本の空に浮かぶ日はあるのだろうか?

2007-12-08

人民日報

 北京に行けば簡単に手に入ると思っていた「人民日報」が見つからなかった。
 街角の新聞・雑誌販売スタンドをいくつも訪ねたが、何処のスタンドでも店頭には並んでいない。『人民日報ください。』というと何処の店主も無愛想な顔で狭いスタンド内を探してくれるが決まって『無い。』の一言。
 知人やその友人達にも頼んで三日目にやっと一部入手することができた。
 中国の組み版事情を知りたくてスポーツ紙、経済紙、書籍、辞典などを購入してきたがどれも横組みだ。
 西単の巨大書店「北京図書大廈」を丹念に見て歩いたが小説、漢詩まで横組みでとうとう縦組みで印刷されたものを見つけることができなかった。
 地元の知人数人にも訊いてみたが縦に組まれた新聞、雑誌、書籍は教科書も含めて見たことがないという返事だった。
 中国では漢字を縦に組むという出版文化は無くなってしまったのだろうか?

2007-12-07

鼻烟壺 (Biyanhu)

 17年前から我が家にある中国の嗅ぎ煙草入れ「鼻烟壺(Biyanhu/Sniff Bottle)」。表裏。50mm x 60mm。魚骨(?)製でHelenaからの贈り物だ。

2007-12-06

黒座暁樓

 営業8部が今年一番お世話になった方の一人、I社の黒田社長と赤坂黒座暁樓で鍋を囲む。手前の土鍋は空になったアンコウ鍋。

2007-12-05

エスプラナード赤坂通り

 歩道の端に電気設備が入っているボックスが設置されている。夜になるとそのボックス側面に子犬を連れた女性のシルエットが浮き上がる。ボックスの両脇に設けられたブラックライトが仕掛けの種だ。
 このボックス、赤坂のエスプラナード赤坂(Esplanade Akasaka)通りに設置されている。

2007-12-04

北京(6)

 帰国する際に北京首都国際空港で利用したトイレ、見た目に何かおかしい。
 便器に洗浄用水道管が繋がっていない。よく見ると便器の上の黒いカードに"Waterfree"と書いてある。水洗式トイレ(懐かしい表現だが)ではないわけだ。
 このトイレ、いやな臭いは一切しなかった。人手でこまめに洗っているか、聞いたことがないが新型の便器なのかも知れない。

2007-12-03

北京(5)

 北京駅前のホテルを出入りする度に前を通るので気になっていたのが「杭州小吃」。いかにも場末の食堂という佇まいなのだが客の出入りが多いのだ。
 入り口まで近づいたらこちらの顔を覚えていたのか笑顔で招じ入れてくれた。
 注文したのが小龍包であることは直ぐに分かってくれたようだが豆腐スープを注文したら、これが通じない。没問題だ。壁に貼ってあるメニューを指さして昨日と同じだと言えばOK。この2品で5元。
 食べ始めたら小龍包につける黒酢がテーブルに無い。隣のテーブルに声をかけて貸してもらったがこちらの様子を伺うように視線を投げてくる。カメラを向けたら「何処から来た?」。それはないだろう、見れば日本人だと分かるだろうに。 瑠璃廠(るりちゃん)で昼になったので通りかかった南新華街の「嘉禾味美酒楼」で昼食。
 大衆的な食堂でよく利用されているシュリンク・ラップされた食器セット。衛生的だって言うのをアピールしているつもりだろうが、費用は客持ちでちゃんと勘定書に1元ついてくる。
 黒いのはラー油と唐辛子で味付けをした冷たい黒ビーフン。もう一品は青菜とピーナツの黒酢漬け。
 歩き疲れた足が楽になるまでビールを飲みながらノンビリ食べてほぼ完食。39元。

2007-12-02

北京(4)

 6時を少し過ぎた時間だったが眼がさ覚めてしまったので外に出てみた。未だ真っ暗。東京にいるときと変わらない服装だがさほど寒さを感じない。
 ホテル横の細い露地を入ってみた。胡同が残っている。歩いている内にうっすらと空が明るくなってきた。
 路地の奥から自転車や徒歩でこちらに歩いてくる人が絶えない。仕事に出かける人達だろう。すれ違う彼らの視線が遠慮がちにこちらに向けられるのが分かる。更に奥の方で明かりが煌々としているのは朝食を売っている店のようだ。
 揚げパンや煮卵を売っている店が数軒並んでいた。揚げパンは店先で揚げている。写真を撮るだけでは申し訳ないので話しかけたら韓国人と間違えられた。
 日本人だというと一気に話しかけてくる。こっちは片言も覚束ないのに、それでも知らない土地で言葉をかけることは大切なことだ。その場の空気が一気に和むのが伝わってくる。  揚げパン屋から更に横丁を曲がると人が住んでいるのだろうかひっそりとした佇まいが続く。ここが北京駅から10分ほどしか歩いた所とはとても思えない。
 東三環路沿いにある朝陽劇場で中国雑技団の公演を楽しんだ。劇場内には日本やロシアからの団体客も多くその人気の高さがわかる。
 幕が開いてから終わりまでどの演技も驚嘆の連続、実際に間近に見ないとその華麗さ、演技の凄さが伝わり難い。

2007-12-01

北京(3)

 夕方5時少し前に楊さんがホテルまで迎えに来てくれた。建国門内大街をブラブラと歩いて着いたところが王府井。ホテルから王府井まで徒歩圏だったのか。
 ショッピングモールにあるフードコート「大食代東方」に落ち着く。奥さんも一緒だとよかったのに。6時半頃には「大食代東方」を出てきつくなったお腹のために徒歩でホテルに戻った。
 この時間帯にこの辺りを歩いて通るのは初めて。建国門内大街に並ぶ建物は別世界のようだ。

2007-11-30

北京(2)

 朝食のために北京駅前の食堂を物色。外気温度は氷点下3度くらいだろうか。中国式ファーストフード店に入った。ひっきりなしに客が出入りする。この辺りは東京なら東京駅前に相当する立地なのにローカルな匂いが強い。饅頭(肉入り)8コと豆乳で8元(約128円)。
 夜は任科くんの家を再訪。昨年4月に訪問したときよりも家族が一人増えている。今年8月に奥さんの翼さんに女の子、紫嫣(ZiYan)ちゃんが生まれたのだ。今年28歳になった任科くんには初めて会ったのは5年前の2003年10月。今は結婚して家(マンション)と車を買い子供もいる。北京の青年の中でも成功している部類にはいるのだろう。